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こんにちは〜🌤️おりおりです🙋♀️
FIRE卒業の可能性
以前、FIRE卒業についてお話しし、(金銭的な面から)FIRE卒業はありえない、という結論に至りましたが、今回は別の角度から考えてみたいと思います。
それは、「稼ぐこと」自体の意味です。
結論から申しますと、この観点から考えると、FIRE卒業は「ありえる」という事になります。
ただし、当てはまる人という意味では、かなり限定的になります。
理由としては、「稼ぐこと」自体に金銭を生み出す以外の価値があるからです。
そもそもお金というのは、かつて物々交換が当たり前だった世界から、持ち運びが容易にでき、(時間経過で)傷んだりしない物として考え出されたものであり、
あくまで等価交換が原則なので、お金を得たということはそれだけの価値を相手に提供した、ということになります。
つまり、稼いだお金は、それだけの価値を相手に提供した、という「証」なのです。
人間は社会的動物であると言われますが(ちなみに、この言葉は古代ギリシャの哲学者、アリストテレスが述べたと言われています)、つまり人間は(ただ自分が良くなるだけではなく)全体を良くするために貢献する、という本性を持っているのです。
お金を稼ぐ=誰かに価値を提供した=社会(の一部)に貢献した、と考えると、全体を良くするために貢献する、という本来の目的を果たしたことによって満足感を得る、という結果に繋がりそうです。
「やりがいのある仕事」が人生の充実において大きな要因であるのも、この理由なのかも知れません。
そう考えると、稼ぐこと自体が(例え生活に全く困らないほどお金があったとしても)必要な行為だと考えられます。
お金が必要なかったとしても、社会貢献のために働く必要があるわけね
ボランティアではダメなのか
ですので、FIREして仕事をしていない時期が続くと、社会貢献していない=生きている意味が無い、というような虚無感を感じるようになり、(別にお金を稼ぐ必要はないけど)仕事に復帰する=FIRE卒業、という流れです。
では、社会貢献という意味なら、別に仕事じゃなくてもボランティアでもしていれば良いのでは?という意見もあるかも知れません。
これも一理あるのですが、本当にどれだけ貢献できているのかを知るのは難しく、貢献した「量」を知る、という意味でも対価としてのお金は必要かと思われます。
お金を貰っていない以上、何をしても自由がゆえに、ただの自己満足、ありがた迷惑になっていないか、という不安にも襲われるかも知れません。
ですのでやはり労働収入ということになるのですが、給与所得よりもさらに事業所得、とりわけ人を雇ったりする場合、雇用を生んでいる、という目に見えて分かりやすい社会貢献があるため、満足度も高そうです。
ですので、起業して大きく稼いでFIREした人(というかよほど倹約家でもなければ、「FI」が可能なのはほとんどこういった人でしょう)は余計にFIRE卒業しやすい、という事になりますが、そもそも完全にRE(早期引退)する事自体、難しいのではないでしょうか。
大きく稼いでいる=大きく社会貢献している=自分の満足度も高いため、(お金が要らなかったとしても)引退する必要が無いからです。
ですので、FIRE卒業は(理論上は)ありえるけど、(現実的には)かなり限定的、ということになります。
ありえるパターンとしては、社会貢献せずに大きく稼いだ、詐欺やそれに近いビジネス(価値と乖離した高額な情報商材など)や、宝くじ・短期トレード(FX・仮想通貨など)でFIREした場合でしょう。
こういった場合、得てして再現性が無い(同じ方法でもう一度稼ぐのは難しい)ため、世間一般の人がイメージするFIRE卒業(悠々自適生活から一転、社畜生活に戻る)になる可能性があります。
社会貢献して、(結果的に)稼ぐことになるんだね
「持続可能な完全FIRE」は可能か
では、稼いでいると言っても、それが権利収入だった場合はどうでしょうか。
権利収入とは、不労所得(働かなくても自動的に収入が得られる)の一つですが、違いは自分が生み出したものからの収入である、ということです。
よく例に出てくるのが、本や音楽の印税収入ですが、これは自分が(労力をかけて)生み出したものですので、先ほどの考え方で言えば社会貢献に当たるはずです。
ですので、これなら「社会貢献をしつつ何もしない生活を送れる(持続可能な完全FIRE)」ということになりそうですが、これも実際は難しいと思われます。
こういった権利収入は、時間の経過とともに収入が減っていき、最終的にはゼロ(に近い状態)になるからです。
お金自体は他から確保出来ていれば問題ないのでしょうが、収入=貢献度、と考えるとやはり満足度としては低下していくでしょう。
冷静に考えてみれば、自分が生み出したものの価値は有限であるはずなので、権利収入はその価値に対する対価を分割して受け取っているに過ぎない(なので、いつかは無くなる)、と言えるかも知れません。
他に、よく挙がる例である不動産投資についても、完全に放置して収入が持続するといったものではなく、入退去や修繕、(委託するにしても)業者とのやり取りなど、自分も動き続けることになるため、不労所得とは言い難いです。
(ですので、不動産投資は投資ではなくビジネスである(不動産ビジネスと呼ぶのが正しい)、という見方もあります)
そういう意味では、本当の不労所得と言えるのは株式や債券などのペーパーアセットからの収入だけかも知れません。
ただし、こういった物からの収入は、(実際は、収入=社会貢献になっているとは言え)社会貢献しているという満足感には繋がりにくいと思います。
その原因としては、国や会社など(分散していたら尚更)、直接「人」と繋がりにくいものに貢献している、ということと、自分が作った物やサービスではない(お金を出しているだけ)、ということが挙げられると思います。
お金でお金を得ても、(実際は社会貢献していても)社会貢献したという実感が湧きにくい、ということですね。
色んな意味で完全なFIREの継続は難しいのね
完全FIREするためには
ですので、そもそも完全なFIREを目指すのではなく、資産所得+副業で生活費を稼ぐSide(サイド)FIREや、Barista(バリスタ)FIREで良い、というありきたりな結論に至るのですが、
あえて完全なFIREを目指すとすると、会社員のまま(倹約して)コツコツ貯めて、定年に近い年齢(50代など)で引退するのが良さそうです。
会社員のまま、というのは先ほども述べたように起業すると余計に、稼ぐ=社会貢献、が強く紐づいて働きたくなるからで、
定年に近い年齢、というのは金銭的に(年金がもうすぐ始まるため)無理が生じにくいのと、周りも引退する人が増えてくる(社会貢献していないのが当たり前になる)、という安心感からですね。
とは言え、そもそも論として、FIREすることが本当に幸せなのか、という疑問もあります。
極端な話、投資も貯金も全くせずに全部使う、「宵越しの金は持たない」という生き方でも幸せそうな人はたくさんいます。
お金は幸福を得るための一つの手段に過ぎない、と考えると、FIREも数ある理想の生き方のうちの一つに過ぎない、と言えるかも知れません。
ですので、自分にとって何が理想なのか、しっかり考えた上で投資計画を立てた方が良いかと思います。
FIREも万人が目指すべき状態では無いんだね
それでは皆様、よきフィットネスライフを〜🏃♀️